「したい」が「しないと」になって迫ってくる
年をとるにつれて自分を「せっかち」だと感じることが増えてきた。待ち合わせには絶対予約したいし、一番きらいなのが「のろのろ移動すること」だ。
たとえば1時間しかないお昼休憩にどこかのお店に食事に行くなら、なるべく長い時間お店で過ごしたい。だからスタスタ歩きたい。戻りが間に合わないかも、という不安を抱くのもいやだ。そんななかで、のろのろ歩かれたり忘れ物をされたりすると、それだけですごく機嫌が悪くなってしまう。
けどこれは事前に「早く歩いて13:20分には店につこう」と予定を立てていて、それが崩れてしまうのが嫌なのだ。
「明日の帰りは◯◯に寄って、◯◯を買いたい」→「買おう」→「買わないと」
自然にこうなって、それがかなわないとなるとすごくイライラしてしまう。
そもそもこうして考えてみると、わたしは願望を「~しないと」(must)だと捉えてしまうことが多い。
たとえば「痩せたいなあ」と思う。そのうち「痩せないと」になって、痩せられない自分が嫌になってくる。
「仕事で成果を出したい」→「成果を出さないと会社にいる意味がない」
ここまで極端になってしまうときもある。というかこういうときが多い。
「お鍋が食べたいなあ」→「お鍋が食べれないなら夕飯はもういらない」
こんなかんじで。
これに付き合わされる彼はすごくかわいそうだ。
そんなんじゃだめだ、優しくしたい。
「彼に優しくしたいなあ」→「優しくできないなら一緒にいないほうがいい」
こうなってしまう。
なんでこんな考え方になるんだろう、と考えてみてもよくわからない。
基本的に自分を追い込みたい系のタイプではあるけれど。
なんか年をとるごとにひどくなっている気がするな。
今の彼が優しすぎるのもあるかもしれない。
もっと気楽に、願望がかなわなくてもどっしり構えられるようになりたい。
要するに自分はわがままなだけなのかもしれない。
でも「成果を出さないと」と思って必死になれたから成果が出せた経験もいくつかある。からあながち悪いだけの傾向とも言えない気がする。
だけどやっぱり常に何かに追われているのはしんどいものだ。疲れる。
もっと楽に、期待せず、流されるように過ごしていきたい→過ごさないと…。