はちろぐ

映画とか音楽とか仕事とか。愛情とお金と教養がすきな女が書いてます。

「人にどう見られているか」考えない人

周りの人にどんなふうに思われているか。

それは自分の生活に大きな影響を及ぼします。

 

たとえば上司に嫌われたら給与は上がりにくくなりますし、
隣に住んでいるおばちゃんに好かれていたら美味しいお裾分けがもらえます。

自分の好きな人に好かれて、その後に付き合えたら嬉しいし、
逆に自分が好きな人に嫌われていたら人のことをもう好きになれなくなるかもしれません。

 

でも仕事をしていると、そんなこと何も気にしていないんだなという人に出会います。

 

それはなぜそうなるのでしょうか。

常に道筋が示されてた人

まず1つめにこれが思い浮かびます。

たとえばゴリゴリ体育会部活で「決められた練習メニューをやり遂げる」ことで評価されるのと、
演劇部で「人の心に響く演劇を考えて演じる」ことで評価されるのと、
脳みそを働かせる量が全然違うと思うんです。

 

別に体育会系の部活を悪く言ってるわけではありません。
「決められた練習メニューをやり遂げる」ことに対しても、より効率的な方法を考えたり、みんなに活かせる有益な新しいメニューを考えたりする優秀な部員はたくさんいると思います。

その人は、既に道筋が示されているなかでも、早くゴールできる抜け道を探したり、より楽に歩ける道を探しているわけです。

しかし与えられた道筋をただ歩くだけで満足する人もいます。

そんなときに、それを「よくない」と思って叱る人もいますが、多くの場合はそれでもよしとされます。

これをずーーーっと続けてきた人って、「人にどう見られているか」考えにくい脳みそになるのではないのかなと。

主張をしない人

これも同じようなことですが。

何か自分の主張をした場合、それが相手にどう思われるか、どうしたら相手にその主張が通るかどうかを考えます。

 

お腹が空いたら赤ちゃんは泣きますよね。

でもいつでも問題なく満足にごはんが与えられていたら、たぶん泣くことを覚えないのではないでしょうか。そんなかんじなのかなと。

もしくは主張をして通った経験がない人。

 

いじめられたことがない人

いじめられたときは誰でも「なんでこんなことされるんだろう」まずそう考えるのではないでしょうか。

だからいじめられたことがある人って、周りにどう思われるか結構気にして生きてると思うんですよね。(わたしがそうです)

気にした結果、いい方向に改善できる人もいればそうでない人もいますが。必要以上に気にしすぎて悪い方向に進んでしまう人もいますし。

いじめられた過去があるけど、今は気持ちよく過ごしている。そんな人にとっては、いじめもいい経験になっているケースが少なからずあると思います(別にいじめを「いいこと」だとしているわけではありません)。

主張しない人って、人に好かれないことはあってもいじめられることは少ないですよね。

だから「人にどう見られているか」考えて、自分を修正していく過程が生まれないのかと。

 

 

こういう人に出会ったときにいつも思うのが、この人幸せな結婚できんのかな~。ですね。

なかなか人とまっすぐ向き合いづらいと思います。

 

ん~~~難しい。